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JTS 翻訳サンプル・原文
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UIA バルセロナ大会レポート
「阪神淡路大震災の教訓」
JIA 名誉会員 池田武邦

昨年1月17日午前5時46分、阪神淡路地方を襲った地震被害は六甲山地や淡路島の形成と深く関っている活断層と海岸線に沿って、巾1~2km、長さ20~30kmに及ぶ帯状地帯に集中していた。その大部分が人口密度の高い都市部と重なっており、6,300人を越す犠牲者の他、物的被害総額も少なくとも 10 兆円を越すと言われている。

地震の規模(マグニチュード)は M=7.2、地震の多い日本では決して予想を越えた巨大地震ではない。過去において1891 年濃尾地震はM=8.4、1923 年関東大地震は M=7.9 であった。しかし直下型地震による今度の被害は、都市のインフラストラクチャーである鉄道、高速道路、港湾、地下鉄や、ライフラインである上水道、下水道、電力、ガス、電話などから、木造住宅、路線商店街、集合住宅、学校、病院、庁舎、文化施設、オフィスビル、ホテル、デパート、超高層ビル、地下街といった現代都市を構成するほとんどの要素に致命的な打撃を与えている。

神戸市は被災時、約151 万人の人口を擁した日本における6番目の国際都市で、近代都市として発達した代表的模範都市であった。

その近代都市が地震という自然現象の前に私たちの想像を絶する脆さで被災した事実を前にして、日本の近代都市建設に関わってきた建築家の一人として大きな責任を感じている。

しかし、関東大震災 (1923年) を初め近代に入って震災に遭遇した地域に近い都市と異なり、神戸は過去数百年近く大きな地震の災害に遭遇していなかった。そのため行政も市民も又、多くの建築家も毎年来襲する台風による水害に比べ地震災害に対しては比較的関心の度合が低く、都市施設も地震対策が必ずしも十分でなかったことは否めない。それだけに現地を詳細に調査すればするほど、この震災から学ばねばならないことが極めて多岐に渡って数多くあることを思い知らされる。そして、災害を拡大させた要因の根源は人間の無条件の自然支配を許してきた近代都市文明の人間中心主義の思想にあると考えられる。

六甲の森林を開発し、その土をもって臨海部分を埋め立て新しい都市空間を創出してきた近代都市の姿は、まさに人間の支配する世界であり、緑の山や自然豊かな海に生息していた動植物を含むあらゆる生物の立場は、都市の近代化の下に無視されてきたといっても過言ではない。

何万年もの時間の中で、地震や洪水など諸々の自然現象で崩れたり流れたり集積して、今日の自然のバランスは保たれている。その自然を人為的に短時間に改変することは、その方法を誤ると、このバランスを崩し、長年に渡って育ってきた生態系を壊すのみならず、次に来る地震や洪水等の自然現象に対しても極めて不安定な脆さをつくり出すことになる。開発にはこれら諸々の側面からの配慮が不可欠である。

今回の地震による地盤の崩壊、埋立地の陥没、流砂現象、ライフラインの破壊、都市インフラの被害等々、災害の大半はその根源に自然に対する安易な人為的改変がその要因となっている。

以下にその事例を検討してみよう。

1. 近代都市神戸の形成過程と災害

 神戸の地勢は、六甲山系から流れ出る水系が軸となり、稜線に囲まれた自然の環境単位が作られている。これが海への骨格を形成し今世紀初頭まではその環境単位が集落を形成していた。言い換えれば、その頃までは最も自然と調和した営みを持続していたといえる。

今回倒壊した建物の多くは、それ以降に開発された湿地帯に集中していることが分かった。被害地の多くは縄文期 (B.C. 4000~B.C. 200) には海だった三角州にあたる湿地帯で、六甲山系からの堆積物がたまり、かつては湿田であった。環境考古学者、高橋学氏の調査によれば、縄文時代に海であったところでも、およそ4,000 年前頃から後に沿岸流によって形成された「砂堆」と呼ばれる砂の微高地の上では、今回最も被害の多かった木造瓦葺きの家屋ですらあまり被害を受けていない。砂堆の内側は潟となるが、本当に被害が大きかったのはこの潟にあたる部分であった。ここは縄文時代には狩猟採集の場であり、弥生時代 (B.C. 200~A.D. 300) になると、洪水の影響で徐々に浅くなって湿地となり、やがて水田となったところである。

1887 年に作製された地形図をみると、当時の集落は砂堆の上を占め、かつて潟であった場所は弥生時代同様に湿田となっている。

その湿田が今世紀に入り都市化が進む過程で、1920 年代頃までにほとんど宅地化してしまった。

1960 年代に入り、第2次世界大戦で壊滅的打撃を受けた日本の経済がようやく復興し急成長期に入るや、神戸は既成市街地のうち都心、副都心、駅前等において他の都市に先駆けて再開発に着手した。

この頃から宅地需要が急激に増大し、神戸の市街化は臨海部と内陸部に向かって展開された。内陸部の山地から削り取られた土は、海面埋立てに用いられ、跡地にはニュータウンが次々と建設された。

臨海部の埋立て地は六甲アイランド、ポートアイランド等新しい都市空間が建設されると共に、港湾機能も建設強化され、今日の神戸市が出来上がってきた。

この過程は、山や海といった自然環境への適切な配慮を欠いたまま効率的に都市経済を発展、膨張させてきた戦後の日本の近代都市形成の典型的な事例である。

2. 山の開発と海の埋立てによる被害

 今回の地震でも山を切り開いて施設を建設した六甲山麓では、2,000 ヶ所に及ぶ地盤の崩壊が発生し、家屋が土砂に埋まり人命が失われている。

また埋立ててつくられた港湾施設に関しても岸壁の海側への移動、沈没と内側地盤の陥没、移動が見られ、陥没は最大 3.5m に及んでいる。揚陸施設の倒壊や防波堤の大幅な沈下もあって、日本の国際海上コンテナ貨物の約3割、フェリー貨物の約1割を扱う神戸港の機能は麻痺状態になり、日本経済に大きな影響を及ぼした。

また六甲アイランドやポートアイランド等最近 2~30 年の間に埋立てた所は勿論、約 100 年程度以前に埋立てた大部分の所でも流砂現象による泥水の噴出と地盤沈下が数多くみられた。それらは地下埋設の上水道、下水道、電力、ガス、電話等都市のライフラインに多大な打撃を与えている。

また、高層建築物の基礎杭の破壊が少なからず観察されている。地上の建築物には被害がなくても、既製杭が破壊された事例は、1964 年の新潟地震において既に経験している。当時、建築物には大した被害が見られなかったのでそのまま使用していたが、約 20 年後、建て替えるために地下を掘って初めて基礎杭が破壊していることを発見した。

対応策としては、地盤改良、鋼管巻場所打鉄筋コンクリート杭、地中連続壁などが考えられている一方、浮基礎により建物への地震入力を軽減する方法も考えられている。

3. ライフラインの被害

 ライフラインの被害は、災害発生時においてガス停止戸数約 86 万戸、水道断水戸数約 96 万戸、電話不通件数約 10 万件、停電件数約 100 万件に及んだ。これらライフラインの復旧は電気はほぼ1週間、電話は2週間であったが、上水道とガスは 100% 近く復旧するのに約2ヶ月以上を要した。

ライフラインが大きな一体的ツリーシステムとして構築されていて、東京などで既に実施されている地域的に完結し得る分散型システムが取り入れられてなかったという、災害に対する弱点が顕在化している。特に地区毎の防火水槽の備えが不十分であったため、上水道の供給断絶と共に消化用水にも欠如することになり、無風下であったにもかかわらず、大量の焼失家屋を発生させるもとになった。

また、火災現場近くを流れる川は、人工的に三面がコンクリートで固められ、水量の少ない平坦な川底には、ポンプ揚水に必要な深さが得られないため消化用水を一滴も汲み上げることができなかった。

都市内を流れる河川は、都市環境保全上の重要な鍵である。その貴重な河川を土地の効率的利用のために、生態系を破壊するコンクリート護岸にしたため、水質汚濁等環境上問題があるばかりでなく、水は流れていても消化にすら役立つことができなかったのである。

また、都市の経済効率追求のため、瀬戸内海の一部を盛大に埋立て、その生態系を崩した六甲アイランドやポートアイランドでも、そこに建つ近代的病院や高層集合住宅等は、建物自体は被害が少なくすんだが、ライフラインの断絶により機能麻痺を来し、それらの復旧が完了するまで患者や居住者の移転を余儀なくされた。

4. インフラストラクチャーの被害

 次にインフラストラクチャーの被害について述べる。鉄道、高速道路、地下鉄等、陸上の主要な都市交通施設は到るところで壊滅的な破壊にあった。そのため地震直後の救援、救急活動、火災に対する消火活動は勿論、日常的な生活基盤及び経済活動の基盤を著しく喪失させることになった。

これらの甚大な被害の大部分も、自然に対する人工的改変がその原因の根底にあるのである。

たとえば、日本の最新鋭の高速鉄道として知られる新幹線の高架部分が8ヶ所崩壊したが、そのすべては現在表面上は全く一般の大地と区別できないが、かつて今から約 300 年から 3,000 年程以前には川筋であったところに掛かっているということが地質考古学者によって指摘された。

また、高速道路の高架部分で、構造的には全く同じ設計であるにも関らず、長い所は数百メートルに渡って横転してしまった部分と、ほとんど無被害のところとが隣接している現象が随所に見られた。これらを詳細に調べると、やはり地表面からは全くわからないが、航空写真の分析から縄文時代に海であったところに建てられた部分の橋脚が横転し、砂堆上の橋脚の所でその横転が止まっていることが判明している。

阪神高速道路で運行中のバスの眼前が急に波打つように動揺し、急ブレーキによって危うく落下した道路上に半身を乗り出して止まった現場も、縄文時代の砂堆と海との境界部分である。

勿論、近年になって盛土した部分や埋立てた所に建てられた柱脚の崩壊、鉄骨桁の脱落、移動等は数多く見られることはいうまでもない。

地震に強いと言われていた地下鉄も、縄文時代の潟の部分で崩壊、地盤の陥没など大きな被害が出ている。

5. 耐震建築物の被害

 日本は太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートの境界に位置する火山列島で、地震の比較的多い国である。

特に 1923 年東京方面を襲った M7.9、死者14 万人余りを数えた関東大震災以来、近代建築の耐震設計手法の技術的研究開発が強力に進められてきた。その後今日まで数度にわたって日本国内で各地で発生した比較的大きな地震の度に、新たな教訓を得て耐震設計手法はその都度改善されてきた。その結果、 1981 年に改定された動的解析による地震応答を考慮した新耐震設計法による建物は今回の地震において、大部分は大きな被害を免れている。しかし、それ以前のものはかなりの被害を受けている。

中でも、8階建の6階部分が圧壊した神戸市役所旧館をはじめ、高層ビルが集中して数多く被災した三宮の主道路周辺は、今から約 120 年前までは旧生田川が流れていた所である。

近代都市建設のため自然の川、生田川を人工的に川筋を移し新生田川を造り、旧生田川を埋立て、そこが今日、神戸のビジネスセンターとして中心市街地を形成している。この中心市街地は、 1938 年に来襲した台風による洪水により、人工的に新設した新生田川の暗渠が溢水し、元河川であった主道路上に濁流が溢れ、大水害を被った所でもある。

6. 地震災害の教訓と今後の課題

(1) 自然との調和

 新しい都市空間創造のために山を削ったり川を移設したり、海を埋め立てる等、自然に対する十分な配慮なしに人工的に改変することは、自然環境を破壊し人間を含むあらゆる地球上の生命が依存している生態系を崩壊させることに直結していることは言うまでもない。

その上更に今回の震災は、このような自然改変による都市構造は地震や台風などの天災に対して極めて脆い体質を形成し、災害を拡大する結果を招くという事実を、自然が私達に強烈に警告しているように考えられる。

私達はこれからの都市空間の創造には、今回の貴重な教訓を踏まえて、自然との調和をいかに保つことができるかという視点を明確に据えて取り組まねばならない。

(2) 既存建築物の耐震診断と補強

 しかし、日本における多くの都市は既にほとんど自然を人工的に改変させながら構築してきた現実がある。これらの多くの都市の現状は自然災害に脆い体質を内在させているという認識に立ち、今後の防災対策に取り組む必要がある。特に今回かなりの被害発生を見た、新耐震設計法導入 (1981年) 以前の既存建築物の耐震診断、耐震改修を強力に進めることが国内的な課題となった。

このため 1995 年秋「建築物の耐震改修の促進に関する法律」が制定されると共に、各種の助成措置の充実、強化、耐震診断を行う建築技術者の養成などが進められている。

新日本建築家協会は、1995年10月 、今回の震災の教訓から、そのための指針を作製し、建築家、クライアントのための耐震補強セミナーを実施、今後の防災の一翼を担っている。

(3) 耐震性能のレベルを制定する重要度評価の導入

 在来の耐震性能は原子力発電所の如き特別な建築を除き、最悪の場合、建築物が壊れても人命が護られれば良いという考えを基本にしていた。しかし病院や消防や警察といった地域施設は災害発生時にもその機能をはたし続けることが求められている。

そのために建物の種類によって機能保持を目的とした重要度評価が必要であることが今回の震災を通して強く認識され、免震構造、制震構造の採用や備蓄機能の向上等、重要度係数に応じた配慮が検討されている。

(4) 未知な分野の多い地震力

 地震発生の都度、多くの教訓を得てきたが今回も例外ではない。言い換えれば、科学技術の発達した今日尚、地震に関する未知の分野は極めて奥深いものがある。例えば、大架構鉄骨の脆性破壊、耐震建築物の中間層破壊その他、諸々の物件の異常な変位など、上下方向の予想を遥かに越える力、即ち衝撃波の存在の可能性が極めて大きいと考えられている。

しかし、現在はまだそれらの計測が不可能なため、 10km の直下型の震源からの衝撃波伝播のメカニズムが不明であり、実験でも検証が不能のため、公的な見解は出されていない。

また、今回比較的被害の少なかった 1981 年以降の新耐震設計法にしても、地下、基礎、及び杭等に関しては未解決のままであり、地震の性状によっては決して十分ではなく、今後の研究課題が多く残されていることも事実である。

その他、地震力が建物に入力するメカニズムなど耐震対策に重要な基本的な現象についてもまだ多くの未知数が残されている。

今後の重大な研究課題であり、より一層の国際的な情報交換、研究協力態勢の推進が望まれる。

(5) 耐震設計教本の発刊

 以上の他、今回の震災の教訓はあまりに多く、短い時間の中で統べてを述べることは不可能である。しかし、何れも建築家として学びとらねばならないことが極めて多い。

そこでJIAはそれらを 10 年程度の実務経験を有する建築家を対象とする一般的な耐震設計教本としてまとめ、地震の多い日本で活動する建築家に役立てることにした。現在既に大半の作業を終え、近く出版が予定されている。

7. 結び

近代技術文明を私達はあまりに過信し、大自然に対して驕った心を持っていたのではあるまいか。地球によって生かされている人間が、人間を中心と考え、地球という自然を人間の都合のよいように改変しながらつくってきた近代都市の在り方を、今回の地震は厳しく問うているように私には思えるのである。

科学技術による文明社会が人間中心主義の思想から脱却し人間と他の生物、あるいは大自然との関係を問い直さなければならない。その上で都市の在り方を考えるべきであろう。

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